今日の
ライター:
根岸達朗
根岸達朗
どうも仏道というものが気になります。いわゆるお坊さんとしての生き方です。こんな 世の中ですから、急にすべてを投げ出して「仏の道へ…」なんてことを考える人がいてもおかしくはないのでは?
そこで、私は思いました。
職業としてのお坊さんというのはどういうものなのか。ちゃんと食べていけるのか。そもそもどうやったらなれるのか。知人の禅僧であるHさんにお話を伺いました。
「この道に入りたいと思うのなら、良いお師匠さんを見つけて、そこに弟子入りをすることです。一般の人を受け入れてくれるようなお寺もありますよ」
なるほど、受け入れてもらえる土壌はあるということですね? 入口のわかりにくい世界だなあと思っていたのですが。
「そうですね。でも、簡単な道ではないですよ」
というのは?
「最初は企業における新入社員と一緒ということになりますよね。お経もなにも読むことができないわけですから、修行に行かなければなりません。宗派によって違いはありますが、一年から三年は行くことになると思いますよ」
Hさんも行かれたのですか?
「行きましたよ。正直言って、初めはとても辛かったです。軍隊みたいだと(笑)」
え、軍隊とはまた。
「ほんとうです。規律も厳しいですし、生活環境もがらっと変わって慣れないこともたくさんやらなくちゃいけなくなります。私たちは街のことを娑婆と呼んでいましたが、もちろん娑婆に遊びにいくことなど到底できませんでしたよ。テレビも、電話も、娯楽といえる娯楽などなにもありませんでした。つらくて途中で逃げ出してしまう人もいましたし」
じゃ、恋愛なんかも?
「だめですね。たとえ彼女がいたとしても会うことはもちろん、携帯電話なんてもってのほかでした。ただ唯一、私のお寺の場合は手紙だけが許されていましたが、これが届いた日にはもう、嬉しくて本当に泣きましたね」
厳しいですね…。
「でも修行が終わったら一般の生活に戻りますし、恋愛や結婚も自由ということにはなっていますから安心してください」
そうなんですね(よかった…)。では修行を終えてからはどうなるのですか?
「この世界は8割方、実家がお寺であるという方が多いので、そういう境遇の方はそのままそこに、ということになるでしょう。そうでない場合はまあいろいろなのですが、修行先のお寺からの紹介を受けて、お手伝いさんのような形で別のお寺に入ったりするケースはありますね」
なるほど。そこではお給料などももらえるのですか?まあ、お給料といってはなんですが奉公に対する対価というか…。
「いえ、そもそもの話をさせていただくと、お坊さんというのは宗教家であって、托鉢(※)を受けて生きる、自分を律しお釈迦様の教えを守って生きる、ということが前提にあります。ですからお金をもらってなにかをするということとは、別の生き方をしていかなければならないのです」
でもお金がなければ生活ができないのでは…?
「多くのお寺は基本的にお檀家さんからのお布施や法要で得たお金でやりくりをしています。ただそこで得られるお金というのはお寺の管理をまかなえる程度にしかならないというのが実際で、自分の生活を立てようということになればなにか別の副業をしていかなければならなくなります」
そうなんですか。坊主丸儲けというのは?
「よく言われますが、そんなことはほとんどありません。さきほども申し上げましたが、お坊さんというのは宗教家です。そうでなければならないし、その多くが最低限の生活の中で自分を律しながら慎ましく生きているのです。お金を稼ぎたいのなら普通に働いたほうがいいですよ」
なるほど…。では最後になりますが、この道を突き詰めていくために必要なこととはなんでしょうか?
「信仰心と、覚悟ですね」
うーん、仏の道も現実社会のそれ以上に厳しいと痛感!どちらにしたって中途半端な気持ちや覚悟しか持てないようなら、なにかを成しえるのってむずかしいのかも…。ここはひとつ気合いのこもった「喝!」を叫んで戒めたいと思います…自分をね。
※信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行(参考:Wikipedia) 注:宗派によって考え方が違いますので、今回はあくまでもHさんのケースをご紹介いたしました。あしからず!
(根岸達朗/プレスラボ)
【関連リンク】
200年続いた処刑場、鈴ヶ森刑場跡に行ってみた…
お坊さんともなればおばけのひとつやふたつ出会うことも!?
出家(Wikipedia)
出家の基本を理解しておきましょう
なるほど、受け入れてもらえる土壌はあるということですね? 入口のわかりにくい世界だなあと思っていたのですが。
「そうですね。でも、簡単な道ではないですよ」
というのは?
「最初は企業における新入社員と一緒ということになりますよね。お経もなにも読むことができないわけですから、修行に行かなければなりません。宗派によって違いはありますが、一年から三年は行くことになると思いますよ」
Hさんも行かれたのですか?
「行きましたよ。正直言って、初めはとても辛かったです。軍隊みたいだと(笑)」
え、軍隊とはまた。
「ほんとうです。規律も厳しいですし、生活環境もがらっと変わって慣れないこともたくさんやらなくちゃいけなくなります。私たちは街のことを娑婆と呼んでいましたが、もちろん娑婆に遊びにいくことなど到底できませんでしたよ。テレビも、電話も、娯楽といえる娯楽などなにもありませんでした。つらくて途中で逃げ出してしまう人もいましたし」
じゃ、恋愛なんかも?
「だめですね。たとえ彼女がいたとしても会うことはもちろん、携帯電話なんてもってのほかでした。ただ唯一、私のお寺の場合は手紙だけが許されていましたが、これが届いた日にはもう、嬉しくて本当に泣きましたね」
厳しいですね…。
「でも修行が終わったら一般の生活に戻りますし、恋愛や結婚も自由ということにはなっていますから安心してください」
そうなんですね(よかった…)。では修行を終えてからはどうなるのですか?
「この世界は8割方、実家がお寺であるという方が多いので、そういう境遇の方はそのままそこに、ということになるでしょう。そうでない場合はまあいろいろなのですが、修行先のお寺からの紹介を受けて、お手伝いさんのような形で別のお寺に入ったりするケースはありますね」
なるほど。そこではお給料などももらえるのですか?まあ、お給料といってはなんですが奉公に対する対価というか…。
「いえ、そもそもの話をさせていただくと、お坊さんというのは宗教家であって、托鉢(※)を受けて生きる、自分を律しお釈迦様の教えを守って生きる、ということが前提にあります。ですからお金をもらってなにかをするということとは、別の生き方をしていかなければならないのです」
でもお金がなければ生活ができないのでは…?
「多くのお寺は基本的にお檀家さんからのお布施や法要で得たお金でやりくりをしています。ただそこで得られるお金というのはお寺の管理をまかなえる程度にしかならないというのが実際で、自分の生活を立てようということになればなにか別の副業をしていかなければならなくなります」
そうなんですか。坊主丸儲けというのは?
「よく言われますが、そんなことはほとんどありません。さきほども申し上げましたが、お坊さんというのは宗教家です。そうでなければならないし、その多くが最低限の生活の中で自分を律しながら慎ましく生きているのです。お金を稼ぎたいのなら普通に働いたほうがいいですよ」
なるほど…。では最後になりますが、この道を突き詰めていくために必要なこととはなんでしょうか?
「信仰心と、覚悟ですね」
うーん、仏の道も現実社会のそれ以上に厳しいと痛感!どちらにしたって中途半端な気持ちや覚悟しか持てないようなら、なにかを成しえるのってむずかしいのかも…。ここはひとつ気合いのこもった「喝!」を叫んで戒めたいと思います…自分をね。
※信者の家々を巡り、生活に必要な最低限の食糧などを乞い、信者に功徳を積ませる修行(参考:Wikipedia) 注:宗派によって考え方が違いますので、今回はあくまでもHさんのケースをご紹介いたしました。あしからず!
(根岸達朗/プレスラボ)
【関連リンク】
200年続いた処刑場、鈴ヶ森刑場跡に行ってみた…
お坊さんともなればおばけのひとつやふたつ出会うことも!?
出家(Wikipedia)
出家の基本を理解しておきましょう







